徳富 蘆花(とくとみ ろか)

小説家。
明治元年10月25日(1868年12月8日)~ 昭和2年(1927年)9月18日)

   

人物像

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  • 明治元年、徳富家の末っ子として水俣で出生し、2歳までを過ごす。徳富蘇峰(猪一郎)の弟である。
  • 兄 徳富蘇峰に続いて、同志社に入学し、のち民友社社員となり、翻訳・評論等を執筆。
  • 明治33年、代表作となる「不如帰」「自然と人生」を出版し、文壇的名声を確固とする。
  • 明治36年、兄 徳富蘇峰との意見の相違によって、国民新聞社を辞め、黒潮社を設立。
  • 「黒潮」を自費出版し世間の反響を呼んだ。
  • 明治・大正を通じて文学者として一世を風靡した大文豪であった。
  • 昭和2年9月18日、伊香保「千明仁泉亭(ちぎらじんせいてい)」で永眠。
  • 臨終の前に兄・蘇峰と15年ぶりに対面し、心和らげるに至ったことは、それ自体葛藤の歴史ともいえる蘆花の生涯を締めくくるに相応しい最期だった。

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生涯・業績

  • 兄 徳富蘇峰が大江義塾を畳んで東上した後も熊本に残ったが、明治22年上京して兄の民友社に入った。
  • 明治31年から国民新聞に連載した「不如帰」は実に驚異的人気を博した出世作であった。
  • 「灰燼」「自然と人生」「みみずのたわごと」「黒い眼と茶色の眼」「黒潮」「寄生木」「青山白雲」「思い出の記」「巡礼紀行」「日本から日本へ」その他の名作がある。
  • 儒教主義の訓育とう洋学校のキリスト教主義、そして民友社での社会主義の輪郭、そうしたものが蘆花の文学を形づくっている。
  • 「君は国力の膨張に重きをおいて帝国主義を執り、余は人道の大儀を執り、自家の社会主義を執る」として決別した兄とは、昭和2年9月18日伊香保温泉で没する半日前に15年ぶりで会い、互いに手を取り合って再会をした。
  • 文壇の伝統を無視して生き抜いたために異端視された蘆花であったが、その独創的個性的な生き方は作品の上に特殊な光を放っていた。

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著書


如温武雷土
ジョンブライト
1889年(明治22) 翻訳
リチャードコブデン
理査土格武電
1889年(明治22) 翻訳
グラッドストン伝 1892年(明治25) 翻訳
近世欧米歴史の片影 1893年(明治26)  
トルストイ 1897年(明治30)  
青山白雲 1898年(明治31)  
世界古今名婦鑑 1898年(明治31)  
外交奇譚 1898年(明治31)  
不如帰 1900年(明治33)  
自然と人生 1900年(明治33)  
探偵異聞 1900年(明治33)  
思出の記 1901年(明治34)  
ゴルドン将軍傳 1901年(明治34)  
青蘆集 1902年(明治35)  
黒潮 1903年(明治36)  
順禮紀行 1906年(明治39)  
寄生木 1909年(明治42)  
みゝずのたはごと 1913年(大正2)  
黒い眼と茶色の目 1914年(大正3)  
死の蔭に 1917年(大正6)  
新春 1918年(大正7)  
日本から日本へ 1921年(大正10) 夫婦共著
竹崎順子 1923年(大正12)  
太平洋を中にして 1924年(大正13)  
冨士(全4巻) 1925~1928年
(大正14~昭和3年)
夫婦共著
蘆花の著書 蘆花の著書
不如帰 「不如帰」

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関連施設

 

徳富蘇峰・蘆花生家
所在地: 〒867-0065水俣市浜町2丁目6-5
電話: 0966-62-5899
開館時間: 9:00~16:30
休館日: 月曜日(祝祭日は翌日) 12月28日~1月4日
入館料: 無料

水俣市立蘇峰記念館(旧淇水文庫)
所在地: 〒867-0011水俣市陣内1丁目1-1
電話: 0966-63-0380
開館時間: 9:00~16:30
休館日: 月曜日(祝祭日は翌日) 12月28日~1月4日
入館料: 無料

徳富家墓地

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蘆花 年表

西暦 年号 年齢 経 歴
1868 明治 1 0 10月20日、熊本県葦北郡水俣に生まれる。本名 健次郎。4女3男の末子。
父・徳富一敬(淇水)47歳、母久子40歳。兄に民友社の創設者、国民新聞社社主の徳富蘇峰(猪一郎)がいる。
1870 明治 3 2 父・徳富一敬(淇水)、熊本藩庁へ出仕のため一家をあげて熊本市郊外大江村に移る。
1874 明治 7 6 本山小学校へ入学。
1878 明治11 10 兄 徳富蘇峰に連れられ京都の同志社英学校に入学。明治13年5月退学。
1882 明治15 14 大江義塾に学ぶ。
1885 明治18 17 熊本、三年坂教会で受洗。
従兄、横井時雄のいる愛媛県今治教会で伝道と英語教師に励む。
このころ、ノートに初めて“蘆花 逸”の署名が見られる。
1886 明治19 18 従兄と共に京都に移り、同志社へ再入学。山本久栄との恋愛に悩む。
兄 徳富蘇峰の成功により、一家は熊本を離れて上京。
1887 明治20 19 山本久栄との失恋を機に同志社を無断退学、出奔し、鹿児島を2ヶ月放浪する。
兄 徳富蘇峰、民友社を創立して「国民之友」誌発刊。
1889 明治22 21 兄 徳富蘇峰に呼ばれ民友社員となる。外国電報の翻訳、海外事情の紹介等に従事 しながら、翻訳・評論等を発表する。
1894 明治27 26 赤坂氷川町の徳富家にて、原田愛子と結婚。
1897 明治30 29 逗子の柳屋に転居。「トルストイ」を民友社より出版。
1898 明治31 30 柳屋で福家夫人から大山信子の哀話を聞く。
「青山白雲」を民友社より出版。国民新聞に「不如帰」の連載始まる。
この年はじめて伊香保を訪問、滞在する。
1900 明治33 32 「不如帰」、「自然と人生」民友社より出版。国民新聞に「思い出の記」連載。
原宿に転居。
1903 明治36 35 前年国民新聞に連載した「黒潮」第一篇を、原宿自宅の黒潮社より自費出版。
国民新聞社を辞し、兄 徳富蘇峰との告別を決意。
1906 明治39 38 エルサレム聖地巡礼の旅の帰途、トルストイを訪問。
1907 明治40 39 府下北多摩郡千歳村粕谷356番地に転居。水俣より戸籍を移す。
トルストイに倣った晴耕雨読(※美的百姓)の生活を始める。
1911 明治44 43 大逆事件の判決について、助命を願う『天皇陛下に願ひ奉る』を東京朝日新聞に掲載依頼。
一高で「謀反論」講演。
1913 大正 2 45 『みみずのたはこと』出版。この年旅行中、兄 徳富蘇峰との会見以後15年間隔絶。
1914 大正 3 46 父・徳富一敬(淇水)死す。葬儀にも列せず。養女鶴子を返し、閉居3年はじまる。
『黒い目と茶色の目』出版
1917 大正 6 49 『死の蔭に』出版。
1919 大正 8 51 独自なキリスト教思想の自覚に醒め、自ら日子・日女(アダム・イヴ)と称し、
これを記念した夫妻の世界周遊旅行に出る。
1921 大正10 53 『日本から日本へ』出版。愛子夫人と共著。
1924 大正13 56 自伝的遺作『富士』起稿。愛子夫人と共著。
1927 昭和 2 59 千葉・勝浦などに療養するが病状悪化。本人の希望により、重態をおして伊香保に転地。
9月18日、15年ぶりに兄 徳富蘇峰と再会し、同夜永眠。